リアリズムの宿

リアリズムの宿

だいたいこんな話

旅の立案者である共通の友人が大胆な遅刻(日程より丸3日は遅れている)をしたことによって、互いにかろうじて顔と名前を知っている程度の男性二人連れが、否応なしに繰り広げる珍道中。冬、曇天、日本海。鈍い可笑しみに満ちたロードムービー。原作は、つげ義春の同名漫画。

わたくし的見解

これほどワクワクしない旅が、ロードムービーがあろうか。
観光名所をまわることもなく、かと言って温泉やウインタースポーツを楽しむこともしない。何ら明確な目的も持たず、ただフラフラ彷徨う。
しいて目的をあげるならば、主人公ふたりの共通の友人、船木の到着を旅の地で待つことのみで。

顔見知り程度の二人連れは互いによく知らないながらも、好意とはかけ離れた感情しか抱いていなかったと見え、行く先々でちょっとずつ上手くいかない旅の段取りにストレスを募らせる。
気まずさとイライラが頂点に達していく様子は、脚本も演出も俳優によるナチュラルな演技も見事にハマって秀逸だ。
しかも、可笑しい。ひたすら可笑しい。
こんな旅をしたことがなくても「ある、ある」とニヤけてしまう。
ビジュアル的には極端に地味な主演ふたりの、この上ないムサ苦しさが鑑賞する側の限界にきた時、ヒロインを登場させるのも巧み。
最近ではTVでも活躍を見せている、若き日の尾野真千子の登場は、ひたすら灰色だった物語にほんの少しの彩りを与え、ささやかな切なさを伴ってエンディングに導いている。

山下監督は日本のジム・ジャームッシュでも、日本のアキ・カウリスマキでもない。
ジム・ジャームッシュやアキ・カウリスマキと肩をならべ、ダメ男を撮らせれば、世界で3本の指に入る監督なのだ。

アメリカン・ビューティー

アメリカン・ビューティー

だいたいこんな話

舞台はアメリカ、郊外の閑静な住宅地。うだつの上がらないサラリーマン、レスターは不動産業を営む妻との間に娘を一人持つごくごく平凡な中年男だった。妻とは倦怠期まっ只中、典型的なティーンエイジャーの娘はいつも不機嫌で会話もない。会社ではリストラ候補としてレポートの提出を求められる。くさくさした毎日に変革をもたらしたのは娘の親友アンジェラと、隣に越して来た少年リッキーとの出会いだった。

わたくし的見解

冒頭、薄暗い部屋で家庭用ビデオカメラに撮られている少女は「あんなパパ、死んで欲しい」と洩らす。
カメラを構えているボーイフレンドは「僕が殺してあげようか」と答える。
その後、舞台となる住宅地の空撮とともに主人公によるナレーションが始まり、
軽い自己紹介と「1年以内に俺は死ぬ、この時はまだ当然そんなこと知らないけどね」と、いきなりの死亡宣言が。

不吉な言葉のもたらす印象とは裏腹に、映像は晴れた日の愛すべき我が街、愛すべき我が家を丁寧にとらえます。
そして物語はひたすらにコミカルで、やはり丁寧にうわべの美しさとその裏側にずっと隠してきたものを描き出します。
ビリー・ワイルダーの「サンセット大通り」のように、死んだ男の回想として繰り広げられる数日間。
主人公は、いかにして死を迎えたのか。
エピソードの数々を常にシニカルな笑いでシュガーコートすることで、静かに漂っていた哀しみが、かえって浮き彫りに。
そのバランス感覚の妙は、実に見事で鮮やかでした。

アメリカン・ビューティーとは、劇中にもしばしば登場し、画面に彩りを添えている深紅のバラの品種名だとか。
しかし同時に、この「アメリカン」は作品に登場する(一見した限りは)絵に描いたように幸せな?アメリカの中流家庭を指しているに違いないし、
さらに続く「ビューティー」の語をもってして、皮肉に満ちたこの映画を完璧に表現していると思うのです。

サム・メンデスにとって初映画監督作品であり、脚本家もまた(TVの脚本家として活躍していたものの)映画脚本を手がけたのは、これが初めてと言うから驚きです。

1999年公開の作品ですが、今観ても断然おもしろい!
またサム・メンデス監督による「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」では、さらに洗練を極め、その完成度は極めて高いものとなっています。
「アメリカン・ビューティー」とは同じ系譜の作品ですので、ぜひ比較しながらご覧になってはいかかでしょうか。